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JUGEMテーマ:スリランカ

 

どうも陣内亮太です。

 

 

メンバーの中で案の定最年長。

とあるアイセックメンバーは”ryota uncle”何て呼ぶ始末。

でも最近9時には眠くなって寝落ちしてしまう。

uncleなのかbabyなのかよくわかんないですね。

 

 

 

 

 

突然ですがスリランカといえば何を想像しますか?

 

 

・・・・

 

・・・・・

 

・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

そうですね、お茶ですよね。

 

 

 

 

日本で飲まれている紅茶の多くもスリランカ産なので

私たち日本人にとってもとても身近な存在であるといえます。

 

 

今回はそんな茶畑が広がるスリランカの丘陵地帯について書こうと思います。

丘陵地帯はスリランカのちょうど真ん中あたりに位置していて

ここで主にスリランカのお茶は採られています。

この丘陵地帯は高いところでは標高1000mを超え、スリランカという熱帯地域にありながらその気候は日本の春先くらいの涼しさがあり

綺麗な水も豊富にあるためお茶の栽培に必要な条件がそろっているのです。

自分にとってはとても過ごしやすかったのですが、スリランカの人にとっては涼しいを通り越して寒かったらしく、数人凍えてました(笑)

 

(あまりの寒さにかわいいニット帽と僕が日本から持ってきたダウンを身に付けて落ち着いた直後のプロジェクトリーダー)

 

 

 

今回スリランカの丘陵地帯に行くにあたり電車を利用したのですが、丘陵地帯に入ると

もう茶畑だらけ。

目の前に茶畑、その奥にも茶畑、そのさらに奥にも茶畑、時々民家、といった具合に。

ここの山は日本の山と違って傾斜がなだらかなのですがその山肌にびっしりとお茶の葉が栽培されています。

 

光沢がかったお茶の葉は、日の光に照らされてその青々しさを一層強め、日本で見る山の色よりも明るく感じられました。

 

 

普段移動の電車の中ではずっと寝ていて、居眠りキャラがそのころ定着しかけていたので、前日にスリランカ人から「明日の電車での道中は見どころがおおいから寝るなよ」と釘を刺されたのですが、その意味が分かりました。

 

 

茶畑をみて「おおおおおー」ってなることなんてないやろーと思ってましたけど、

結構「おおおおおー」って言ってました(笑)

 

 

(目の前のものすべて茶畑。奥の山の緑の部分も茶畑。時々民家)

 

(むこーーーーーうの山まで全部茶畑)

 

そしての次の日に行ったエッラロックという場所でスリランカの丘陵地帯を一望してきました。

 

当然のごとく茶畑がそのあたりにあって、そこを通り抜け、山道を1〜2時間かけて登ったところで頂上に到着。

頂上から見た景色はそれはそれはきれいでした。

 

そして涼しい。(スリランカにいると涼しいというのは無条件でありがたく感じられます笑)

あと頂上で老夫婦が紅茶作っていてここの紅茶がスリランカで飲んだ中で暫定1位です。

日本でも生姜とレモン入れて紅茶いれてみよう。

 

 

(エッラロック頂上から下を見るとこんな感じ。このあと中国人EP2名ほどが危険な方法で写真を撮ろうとしてアイセッカー若干焦る。このあたりから彼らのチャレンジ精神に火が付きだす笑)

(こんな景色を大パノラマで堪能できます。実物はもっと綺麗で)

 

(天気にも恵まれました)

 

 

そこには寺院や歴史的建造物もないですし、ゾウがいたりするわけでもない。

ただそこには人々のくらしがあって、自然があるだけでした。

それでも人を魅了させるというのはスリランカの強みだなーと改めて思いました。

 

今回は短いですがこのへんで。

 

 

おわり

 

JUGEMテーマ:スリランカ

 

どーも、陣内亮太です

 

スリランカの料理は基本的になんでも辛いです。

スリランカの人たちがマンゴーに一味らしきスパイスを大量にかけていて

これも異文化経験だ、と思って食べさせてもらいましたがやはりマンゴーは

甘さあってこそですね(笑)

 

 

今回は前回同様スリランカの南西海岸部に位置する街で、世界遺産にも登録されているゴール(Galle)について紹介します。

ゴールは旧市街と新市街分けられていて、旧市街が世界遺産に登録されています。

新市街は他の都市と同様に駅があって、車がバンバン通ってて、クラクションがひっきりなしになっているといった感じです。」

 

 

(新市街の様子。駅前の道路)

 

新市街でバスを降りて5分ほど歩くと、旧市街へと向かうメインゲートが見えてきます。

メインゲートを通るとその街並みは新市街のそれとはがらりと雰囲気を変え、赤茶色の屋根と真っ白な壁の建物が立ち並びます。

また熱帯地域特有の木々が至るところにあり、新市街の騒々しさが嘘のような空間が広がっています。

 

(左側に写っているのが旧市街と新市街をつなぐゲート。石造りの壁は要塞で旧市街を囲むように造られている)

 

(旧市街の建物。ほとんど全ての建物がこのような様式のもの。)

 

更に海岸沿いに旧市街は位置しているので、旧市街からはきれいな海を見ることもできます。

晴れていれば、水色の空によって建物の赤茶と白、木々の緑がより一層映えて街全体が一つの作品のように感じられます。

自分は一眼レフを持参していたので、かなり写真を撮るのが楽しかったですね。

今見返すとピントがしっかりあっていなかったり、ひどいもんですけど。

 

 

(レストランからの写真。このあとメニューの値段設定の高さに絶望する・・・・)  

 

(旧市街からみた海。ウナワトゥナビーチより断然綺麗(笑))

 

(海沿いの旧市街の様子。人々が歩いているのが要塞の上。)

 

(要塞の跡。この上を歩いて旧市街の様子を見ることができる)

(海側から見た旧市街。)

 

 

ほんとに街のどこを切り取ってみてもきれいで画になるので写真好きにはオススメの場所です(笑)。

 

 

 

 

 

そしてなぜ旧市街が世界遺産に認定されているかというと

 

 

ゴールは16世紀から19世紀におけるヨーロッパの建築と南アジアの伝統の相互作用を例証する都市建造物群の顕著な例を提供している。これを形成する諸特質の中でも傑出した価値を持つ都市建造物は、かつてはトリトン稜堡の風車で動いていた揚水機に管理され、海水とともに流されるようになっていた17世紀当時のままの排水機構である。

(wikipediaより)

 

 

分かったような分からないような・・・・

 

 

水路についてはよく知りませんが、旧市街はスリランカと西欧の融合が体現された場所といえます。

もともとゴールは東方貿易により栄えました。その後ポルトガル、オランダ、イギリスに占領されました。

その中で作られていったのが今の旧市街です。外敵に対応するための要所でもあったので上記のような要塞が築かれ、

その名残は今でも残っています。

またイギリスがオランダからゴールの地を奪ったときは無血譲渡であったため、その争いによって街が破壊されることはなく、

現在に至るまでゴールの街並みが保存され続けてきました。

 

(何かよくわからないもの。占領時代の者のように思われる。)

 

 

 

(植民地支配を感じさせる像)

 

 

ゴールの街並みを作ったのは当時占領していたポルトガル、オランダ。

その街並みを保存したのはオランダから争いなくこの地を奪い取ったイギリス。

 

そう考えるとゴール旧市街という街並みが造られ、それをこうして今私たちが見ることができているのも

西洋諸国が植民地支配を行っていたから。

 

 

 

 

 

スリランカが受けた支配の歴史をこんな美しい街が伝えてくれていると思うとなんともいえない気分になります。

 

 

(旧市街からみた新市街。と、アイセックメンバーの頭部。)

 

 

 

おわり。

 

JUGEMテーマ:スリランカ

どーも陣内亮太です

 

こちらにきてもう4週間。あと半分を切りました。

中国では学校で水泳の授業がないそうです。

なので一緒にスリランカで生活している中国人の友達はほとんど泳げないし、

水への恐怖心が強い。

クロールやバタ足といったこともよくわかってない。

教育ってすごいですね。

 

 

今回はスリランカの南西部に集中するビーチ等に訪れたので、南西部の海岸周りを何回かに分けて紹介したいと思います。

 

スリランカの南西海岸にはいくつものビーチが点在しています。

リゾート施設がそろいホテルが立ち並ぶ、ベントタ。

マリンスポーツが盛んでサンゴ礁のビーチを楽しめる、ヒッカドゥワ。

などなど

 

 

それで今回はウナワトゥナという有名なビーチの一つに実際に行きました。

ウナワトゥナビーチは一部の旅行者によって開拓されていったツーリストビーチで,

かつてはヌーディストの楽園としても有名だったそうです。

自分が行ったときは小さい子がすっぽんぽんで元気に砂遊びをしていて、さすがはウナワトゥナといった感じ。

とはいえ、現在はタブーとされているので素っ裸の人がその辺を歩いている様子を見ることはまずないです()

小さい子は別ですね()

 

 

 

ウナワトゥナの特徴としては上記のようなベントタ、ヒッカドゥワといった人気ビーチのようなリゾート施設はなく、

アクティビティもそこまで盛んではないということ。

 

 

もちろんバナナボートや水上バイクのようなものは一通りそろってはいますが、

じぶんが行った時もそれらを利用している人はほとんどいませんでした。

 

 

ビーチに来た人は何をしているかというと、その多くがこれといったことを何もしない()

大体の人がビーチに設置されている椅子やテントに腰をかけ、ビールを片手に本を読む、

音楽を聴く、海を眺める、海に入ってただただ浮かんでる、などなど

 

 

 

日本のビーチというとBBQしたりスイカ割をしたりと何かをしに行くところという考え方が強いように思いますが、ウナワトゥナは時間の流れがゆっくりで日ごろの忙しさ(というほど忙しくはしていない)や時間の流れ忘れさせてくれる場所でした。

このように多くの席が用意されており、皆思い思いの時間を過ごす

 

ビール飲んだり、本を読んだり

 

 

さらにウナワトゥナビーチは他のビーチと違って大通りから少し離れたところにあるので、車の通る音や人々の生活音が一切しません。

これがより一層ビーチにいる人たちに非日常的な時間を感じさせます。

 

 

 

海に実際に浮かんでいると何の音もしない、空だけが見えてなんともいえない心地よい気分になりました。

そして木々の奥に夕日を眺めながら、ビールを飲む、なんていうのもいいかもしれないですね。

お金がないのでじっさいにはしていませんが。
 

木々の間に沈む夕日

 

 

 

 

日が沈むとビーチに設置されたテントや席のぞれぞれに灯がともり、日中とはまた違った静かで雰囲気のあるビーチを楽しめます。

 

 

夜のウナワトゥナ。

 

ビーチから大通りに向かう道の両脇には多くのお店があって帰りにそこでビールとおいしいスリランカ料理を楽しんで帰るというのもいいかもしれません。

そういった人を羨ましそうに見ながら帰路につきました()

 

次回は世界遺産、ゴールの旧市街を紹介します。

 

 

おわり

JUGEMテーマ:スリランカ

 

 

どーも陣内亮太です。

中国人と同じ感覚で生活していて金欠の危機に瀕してます。

彼らはやっぱお金持ちなのかなー

紅茶も爆買いしてたし。

 

 

 

今回はシーギリヤロックという岩について紹介します。

 

 

 

前回紹介した仏歯寺に行った次の日だったのでキャンディから目的地のシーギリヤへ。

バスでおよそ2時間の移動(体感)。

そのうち8割方寝ていたのですぐでしたけど(体感もくそもない)

スリランカでの移動手段は基本的にバス。なんせ料金がむちゃくちゃ安い。

普段1時間くらいかけてアコモから都市のコロンボまで出るのですが、バスに2本くらい乗ってかかる運賃が50ルピーも

いかないくらい。日本円にして40円以下。破格の値段(笑)

そのかわり急ブレーキと急発進を繰り返し、車内ではスリランカの音楽が爆音で流れてます。

そんな中でも寝られる自分はだいぶスリランカに慣れてきたといえるでしょう(笑)

 

 

 

 

 

さてそんなこんなでバスでシーギリヤへ。バスを降りるとそれはすぐに現れました。

ジャングルの中で一際大きな存在感を放つ岩。ただならぬ雰囲気を醸し出す岩。

そんな岩を真正面から見るとこんな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一声

「うわーーー・・・でけええええ」

文系とは思えない語彙力。でもそれくらいシーギリヤロックの迫力には驚かされますし、

まず日本では見ることができない光景がそこには広がっています。

 

 

 

 

 

 

 

何にびっくりさせられるかというとその規模感。

シーギリヤロックは乱暴な言い方をすると木々が生い茂る中にあるでっけー岩。

でもその木々の生い茂り方も「でっけー」岩のそのでかさも想像以上。

最終的にシーギリヤロックの上に登るのですがそこから見下ろしたようすがこんな感じ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シーギリヤロックはジャングルの中にあったのです。登ってみて気づきました。

なぜ気づかなかったかというと、バスの中ではずっと寝ていたから(笑)

 

 

 

 

ここまでシーギリヤロックの見た目の壮大さについて述べてきましたが、この“岩”それだけじゃない。

 

 

 

 

 

実は歴史的な意味をもつ場所。

 

(ここからは本に書いてあったことを我が物顔で語ります。)

 

先ほどあげたシーギリヤロックの写真。

その岩の頂上に宮殿を建造した頭のおかしい王様がいました。

その王はカーシャパといって5世紀の後半に宮殿は建造されました。

 

 

カーシャパは当時スリランカを統治していたダートゥセナ王の長男だったのですが、カーシャパには腹違いの弟がいて

弟の母親は王族の血筋でカーシャパの母親は平民の血筋。

そのためカーシャパは王位を弟が継承してしまうことを恐れて父親を監禁し、王位をはく奪。

さらにカーシャパは父ダートゥセナに隠してある財産を要求したところ、

ダートゥセナは自身が造った貯水池を指して「これが私の財産のすべてだ」と回答。

これに怒ったカーシャパは家臣に命じ、実の父親を殺害。

その後カーシャパは弟の復讐をおそれたのか実父殺害への自責の念なのか、

このシーギリヤロックの頂上に宮殿を建造したのです(シーギリヤロックはもともと仏教僧の修験場)。

宮殿建築から11年後にモッガラーナは弟との戦いに破れ、自ら命を絶ちます。

 

 

 

そんな数奇な人生をたどったカーシャパ王の建てた王宮の名残を今でもシーギリヤロックからは感じることができます。

 

 

 

 

まず岩肌に描かれた女性のフレスコ画。

ここは撮影が禁止されていたので写真がありません。ググっていただけると幸いです。

このフレスコ画はカーシャパ王が父の霊を鎮めるために描かせたものと言われています。

 

 

そしてミラーウォールと呼ばれる回廊を渡り、ライオンの足だけが残された入り口からシーギリヤロックの頂上を目指します。

このとき頂上に行くため岩肌に取り付けられた階段を使うのですが、これが工事現場の足場のようなものでなかなか怖い。

今でこそその階段を用いて頂上に行くことができますが、当時はそういうわけにもいかなかったでしょう。

岩肌に取り付けられた階段を上るだけでもシーギリヤロックの頂上に宮殿を造るということがいかに狂気に満ちていたか

ということを感じさせてくれます。

 

 

(ミラーウォール。壁面にはタミル語が書かれており当時のままの状態を保っている)

 

(ライオンの足。当時は他の部分もあったとされる。後ろに少しだけ見える階段を使って岩肌を登っていく)

 

 

 

そして頂上にたどり着くと王座の跡であったり、王専用のプールの跡を目にすることができます。

そこから見る景色は絶景で、ジャングルを一望できます。

しかしその一方で下界とは完全に隔絶された場所でもあり、一抹の寂しさも覚えます。

 

(王専用のプール。でかすぎ。。。)

 

 

 

このようにシーギリヤロックはそのスケールに魅せられるだけでなく、その歴史と悲哀を感じさせる場所でした。

 

 

日本ではまず見られないものに出会えて個人的に大満足でした。

 

 

 

 

 

(スリランカのアイセックのメンバー。この後頂上で豪雨に見舞われ皆大変な目にあいました(笑))

 

おわり。

JUGEMテーマ:スリランカ

 

どーも陣内亮太です。

今回からスリランカの紹介を始めていこうと思います。

 

第一回目は仏歯寺(temple of tooth)について

 

 

 

仏歯寺は「ここを訪れずにはスリランカを語れない」なんて言われるほど有名な寺院。

ていうか地球の歩き方にそう書いてありました()

 

 

 

場所はスリランカ最大の都市コロンボから電車で2時間(自分が実際に行ったときはエンジントラブルと天候不良で5時間かかりました笑)のところにある古都キャンディ。

 

 

 

スリランカの友人曰く、キャンディの女性がスリランカで一番美人らしいです。

美人が多いかどうかはよくわかりませんでしたが、古都というだけあって落ち着いた街並みで温かみを感じられました。

建物も大阪のようにカニが強く主張したりすることはなく、どちらかというと京都のような整然とした印象を受けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

では仏歯寺に話を戻します。

なぜ仏歯寺というかというと、その名の通りで仏の歯が奉納されているから。

その仏歯がキャンディに運ばれたのが1590年ということなので、この仏歯寺は比較的新しい寺院であるといえます。

まあこの辺の歴史云々は地球の歩き方やその他のガイドブック、Wikipediaなんかを見てくれると分かるかなと思います。

ここからはあくまでも見たもの重視で書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訪れたときはかなりの雨。

一緒に行動していたインターン生の大半が雨と疲れで寺院に行くのを断念していました。

(まじで「YOUは何しにスリランカへ?」って問いただしてやりたくなった。)

でもすでに5時間電車に揺られてバスにも1時間以上乗っていたし、他のところにも行った後だったので疲れは確かにありました。

 

 

 

 

 

 

 

それで今までにはなかった厳重な手荷物検査を経て寺院の中へ。

すると寺院の中は自分の想像していたものとは大きく異なっていました。

 

 

 

 

 

中へと言っておきながらまだ中には入らない。

 

 

 

 

まず寺院の一部。外縁とでも言うんでしょうか。この時点で既に疲れが吹き飛びました。

夜ということもあって寺院全体がこのようにライトアップされていました。

宗教的な意味とかそういうことではなく、純粋に美しいと感じました。

 

 

 

 

今度こそ中に。

 

 

 

 

中に入ると写真のような絵を多く見ることができます。

ここの前に行ったラジャマハーヴィハーラという寺院(そのうち書くかもしれないです)もそうだったのですが

スリランカの寺院はとにかく絵が寺院の壁面に多く画がれていて、

その一つ一つがすごく緻密かつ色鮮やかで寺院の持つ神秘性や厳格さを一層強めているように思えました。

 

 

以前にミャンマーを訪れたことがあるのですが、ミャンマーの寺院はそんなに絵はなかったし、

あったとしてもここまではっきりしたものではありませんでした。

これは間違いなくスリランカの寺院の魅力の一つですし、

本堂に向かうにあたり寺院の内外を隔てるような、そんな不思議な空間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして寺院の中を進んで本堂へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたりから建物に石だけでなく、木材が多く使用されていました。そのため寺院全体から温かみが感じられます。

写真の中央にある赤いものはすべて花弁でスリランカの人々は祈りと一緒に花を供えます。

そのため寺院に入る前に花を売っているお店を見ることができます。

台いっぱいに花弁が広がっていて、その数の多さがスリランカの人々と仏教の結びつきの強さを物語っていました。

そして白い服を着た方が仏教徒の方たちで写真には写っていませんが奥の方に行くと多くの仏教徒が祈りをささげていました。

自分自身、特定の宗教を信仰しているわけではないので普段祈りをささげたりすることはなくせいぜい初詣ぐらいなのですが、そんな自分にもわかる緊張感と厳格さがそこにはありました。

ここからは撮影禁止だったので写真はないですが、この奥に本堂があって一日三回の礼拝のときに仏歯の部屋が開扉されるそう。実物は是非自分の目でどうぞ。それかネットで()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして本堂を抜けて別の建物へ。

 

 

 

 

 

 

するとそこにはスリランカへの仏教の伝来の歴史が20枚近くの絵によって説明されていました。コロンボにある独立記念ホールでもスリランカが占領されて独立するに至るまでの歴史が絵によって説明されていましたし、どうやら絵というものはスリランカを知るうえで重要な要素のようです。

 

 

 

 

他にも仏教の書物が保管されている部屋やシンハラ王朝とイギリスとの会談があった集会所の跡地などがあってかなり充実した時間を過ごせました。

 

 

 

 

今日はこんなところですかね。

もう少し物書きに慣れていきたい。

 

 

 

 

 

 

―あとがき―

インスタでこれからちょくちょく投稿していくので、よかったらご覧ください。

(@jinnryo https://www.instagram.com/jinnryo/?hl=ja)

 

仏歯寺やキャンディの様子をもっと見たい人はインスタで#toothoftemple #kandy 等で検索すると色々出てくると思います。

ちなみに自分のハッシュタグは#templeoftoothとなんだか恥ずかしい感じになってます////

 

おわり

 

 

JUGEMテーマ:スリランカ

 

 

どーも陣内亮太です。

今回アイセックの海外インターンシップで

1月から2月末にかけての6週間にわたりスリランカに滞在することになりました。

 

 

 

 

現在スリランカに来て2週間が経とうとしているのですが、いろいろ思うところがあり

ブログをはじめようかなとおもいます。

 

 

 

まずなぜブログを書くのかというと、自分の参加しているプログラムの内容が大きく関わってきます。

今回参加しているプログラムはスリランカの様々な観光資源についてPRをしてもっと世界中の人に

スリランカのことを知ってもらおうというものです。

要するにツーリズムのようなもの(こういうとなんかかっこよく聞こえる)。

 

 

 

そんなわけで自分だけでプログラム内容とは別に何かしら発信していってみようと思うに至りました。

これも何かの縁だとは思うので日本にとってあまりなじみのない国、スリランカを知ってもらおうかなと。

 

 

 

 

 

なのでスリランカの観光地や魅力を中心に書いていこうと思います。

たまに息抜きで日々の生活のこととかも書く、かも。

 

 

 

 

 

 

既にいくつかの場所に訪れましたが、思ってたよりもスリランカってすごいです。

 

いろんな意味で。ほとんどいい意味で。

 

 

というわけで次の投稿から早速紹介始めていきたいと思いまーす。

 

52. 自分が選んだ道を正解にしていこう

みなさんこんにちは。庄山です。
4/1(金)に無事に入社式を終えて社会人としての一歩を歩み始めました。長きに渡った学生を引退したということで、今回の記事でアイセック大阪大学委員会のブログに投稿するのを最後にしようと思います。ブログは今後も書いていきたいと考えています。http://js24.hatenadiary.jp/ の方で引き継ぐつもりでいますので、ご覧になっていただけると嬉しいです。
 
さて、今回の記事がこのブログでの53本目の記事となりますが、文章を書くことを通じて自分の経験を言語化することの大切さを学びました。今後もブログを続けていきたいと考えているのもこのような思いからです。人になにかを伝えたいと思ったとき、文章を書くという経験の蓄積が大きく活かされたと感じています。自分の考えを誰かに音声で伝えるまでには以下のような流れがあると思います。
 
  • なにかを感じる思う
  • 感じたことや思ったことについて考える
  • 考えたことを頭の中で文章になるよう組み立てる
  • 組み立てた文章を声に出して誰かに伝える
 
文章を書くという行為は上記の1〜3を満たしていると考えられますし、実際に文章を書いてみることで4に近い行為を行っていると言えます。文章を書くことは誰かに自分の考えを伝えるためのいい訓練となりました。みなさんは自分の考えを淀みなく誰かに伝えることが出来るでしょうか。何度か話したことならともかく、初めて話すことを分かりやすく説明することは難しいのではと思います。
 
僕もこのように文章を書き始める前は、話しているうちになにを言いたかったのかを見失ってしまうことがしばしばありました。しかし文章を書き始めてからそのようなことがかなり少なくなったと感じています。会話をしている最中でも、今の話題における主題はなにかということや論理的に話しを組み立てることが出来るようになってきました。自分の考えを伝える際に声に出すか文章にするかの違いが両者にあるだけで、基本的な頭の使い方は一緒だと感じました。
 
また考えるときに過去にあった出来事を思い出す必要があるため、記憶を呼び戻す訓練も行うことが出来ました。誰かになにかを伝える際、その伝える内容は過去の内容に基づくことが多いと思います。思い出すという習慣がないと、いざ思い出したいと思ったときに時間がかかると思います。記憶を呼び戻すことを続けたおかげで、今の行動と過去の自分の経験を結びつけて考えやすくなりました。

(卒業式@大阪城ホール) 

さて、このブログを通じて僕は自分の考えを素直に伝えることを意識してきました。友人との会話の中では気恥ずかしくて言えない、しかし自分が思っていることを出来る限り率直に文章にしてきたつもりです。色々な考えがある中で自分の主義主張のみを押し通そうとするのは軋轢を生みがちですが、それを押し殺してばかりいると今度は自分が辛くなってしまいます。
 
僕は人から、特に数回しか会ったことのない人からよく、「真面目」「まとも」「意識高そう」などと言われます。しかし僕は自分から進んで物事に取り組んでいます。やりたいからやっているのであって、真面目だから、まともだから、意識が高いから取り組んでいるわけではありません。周りの顔色を伺いすぎてしまうと、せっかく主体的に取り組んでいた物事を止めてしまうことになります。
 
それは非常にもったいないことだと思います。人間やりたくないことよりもやりたいことをやっている方が前向きに取り組めると思います。ただしそのやりたいことが誰かのためになっているかを考えることは重要です。もし誰のためにもなっていなければ、そのやりたいことは自分勝手な行動でありやらない方がいいことになると思います。自由と自分勝手はイコールではありません。
 
やりたいことをやろうと思ったときに少し立ち止まって、自分の行動が周囲にどのような影響を及ぼすのかを考えるそして実際に行動に移すことが大切だと思います。しかし実際に行動に移してみないと分からないことも多いのが事実です。考え尽くしたら自分の直観に従って困難に飛び込んでみる、このように勇気を持って一歩を踏み出す人の力になりたいと思って僕自身歩みを進めてきました。
 
特に去年の8月に就職活動を終えてからはキャリアで悩む人の力になりたいと思って個人的に活動を続けてきました。201591日〜2016331日(7ヶ月間)を振り返ると以下のような活動をしてきました。
 
J-ONEセミナー関西代表:2/19(金)
JT×日産×関電コラボセミナー運営:2/18(木)
・アルファ模擬インターンメンター:2/13(土)、14(日)
J-ONEセミナーキックオフ会:2/1(月)
・アルファ同志社アウトプットセミナー:1/14(木)
・レクミーライブ
in 京都:3/9(水)講演会場運営
in 大阪:3/7(月)講演会場運営
in 京都:12/8(火)日系大手内定者講演・内定者ブース
in 京都:10/15(木)日系大手内定者講演・就活生導線
・アイセック講演@関大:10/3(土)
・キャリア相談:28&25
・就活インタビュー:5
・個別指導塾講師アルバイト:約半年間@スタンダード梅田教室
卒業祝賀会:3/13(日)卒業生代表の言葉
 
就活生以外にも、海外インターンシップに興味を持っている人から小中高生の勉強を教えるまで様々な形でキャリアに関わってきました。インドの経験を嬉々として語ったために一部からインドプロモーターと称されるまでになりました(笑)「庄山さんのおかげで今後なにをすべきかが見えました…!」その一言が嬉しすぎて、卒業を控えた友人たちが海外旅行に行っているにも関わらずずっと関西に残って活動していました。
 
このように言うと「立派だ」や「変わっているね」と言われるのですが、あくまで「やりたいから」「嬉しいから」取り組みが続いているだけなのです。やりたいことをやれている時は前向きに物事に取り組めている可能性が高いです。そうするとその姿勢に共感した人が近づいて来て取り組みが加速していき、周囲にもポジティブな影響を与えると思います。
 
つまるところなにを申し上げたいのか言えば、自分のやりたいことを思い切ってやると結構いいことあると思うよ、ということです。やりたいことが見つからないと言っている人はその時点で取り組みが受動的になっていると思います。ただしそのまま放っておいてもやりたいことは見つかりません。自分で自分のやりたいことを定義していくことが重要だと思うのです。
 
やりたいことが定義出来たら今度はそれに取り組んでいくわけですが、この時点では成功するか失敗するかは誰にも分かりません。そしてあるとき成功だと思えても、本当にそれが成功かどうかはいつになっても分からないものだと思います。僕が内定を辞退してインドでインターンをすると決意したときがまさにそうでしたし、今でもインドでのインターンの経験が自分の人生において本当に成功だったかどうかは分かりません。
 
少なくとも現段階では一年間休学してでもインドに行って良かったと思ってはいますが、本当にこの選択が成功だったかどうかは分かりません。ただし自分でこの決断をしたのは事実ですので、僕は今でもこの選択を正解にし続けるために日々努力を積み重ねていると言えるでしょう。部活を引退したのが今からちょうど2年前であったことを思って振り返ると、この2年間に対してなかなか感慨深いものがあります。
 
(お世話になった阪大グラウンド)

さて、例のごとく長々と書いてきましたが最後にひとつだけ。インドのインターンのことでも就職活動のことでも社会人生活のことでも、気になることがあれば気軽に連絡下さい!https://www.facebook.com/jun.shoyama こちらからメッセージをくれれば出来る限り回答します。メッセージを送る際はアイセック大阪大学委員会ブログ経由と、一言お伝えいただけると幸いです。
 
ブログ初心者ということもあり拙い文章ばかりだったとは思いますが、これまでブログを読んでいただき本当にありがとうございました。冒頭申し上げたように社会人になってからも文章を通じて自分の考えを伝えることを続けていきたいと考えています。今後お互いに困難に出くわすかもしれませんが、自分の選択を信じて明るく楽しく頑張りましょう!では、失礼します。
 

こんにちは、福山です。

前回1を書いて満足して、そのまま終わりそうな気がしていたのですが、
一応その2まで書いておこうと思います。


「ここって孤児院なんだな」と強く感じさせられたエピソード、2つ目です。


私がここにおじゃましてから、実は5人の女の子が新たにこの家にやってきました。
一番新しいのが2人姉妹で、6歳と2歳半です。
2人とも、ここで過ごす初めての夜はなかなか眠れず、
お母さんを恋しがって泣き出してしまいました。


これには私もスタッフもやりきれない思いでいっぱいでした。
結局、スタッフが一晩中あやしてなんとか朝方には眠れたようです。
私は部屋に戻り、彼女たちの母親のことを考えていました。


姉妹はその日、母親とともにお昼頃に家にやってきました。
母親は見る限り元気そうで、オーナーと笑顔で会話していました。
お昼ごはんを一緒に食べた後、子どもを残して家を去っていったのですが、
車に乗り込んでいく間、彼女は子どもを気にかけるそぶりさえ見せませんでした。


そんなことが目の前であって、自分は何も言えなくて。
「あ、母親ってこんなにも簡単に子どもや子育てを放棄できるんやな」
って感じてしまいました。
もちろん、彼女の抱える事情は何一つ知りませんし、
彼女が何を思って子どもを置いていったのかはわかりません。


けれど、泣いて寂しがる小さな子どもを見ていると、
どんな事情があったとしても、子どもにとって母親はひとりしかいなくて、
そこから逃げ出すなんて…と思わざるを得ませんでした。



そしてこの夜、以前オーナーに言われたある言葉を思い出しました。

 ”They were already born.”

聞いた瞬間から私の中に刺さったままの言葉です。

「彼女たちはもう生まれてきてしまっているのだから、
 誰かが面倒を見ないといけない。」


正直、こんな言葉、子どもを愛する教育者から聞きたくなかったです。
でもこの2週間で5人の女の子が育児を放棄されている現実があります。


すべての子どもが愛される世界であってほしい。
どんな子どもも、望まれて生まれてきてほしい。

心からそう思います。
 

こんにちは、福山です。

3時間以上も前に洗濯機のスタートボタンを押したのに、
一向にすすぎ終わる気配がありません。
さすがマレーシア、スローな国だと一瞬思ったのですが、
でっかくTOSHIBAって書いてありました。なにさぼってんだ。


ということで、今週いくつか印象的なことがあり、タイトルの通り
「孤児院にいるということ」を痛感させられたので、
そのことについて書いておきたいと思います。
実はこれを書き留めたくて前回のを書いたので
これで投稿は終わるかもしれません。笑



ここの施設では、子どものしつけのために、罰を与えることもしばしばあります。
平手打ちもあれば、細めの枝の皮を削いだ棒で叩いたりもします。
初めてこの施設にきてこれを見た時は、ショッキング過ぎて
やめてやめて!!と泣きそうになりながら止めに入りました。
しかし、そのあとにオーナーの女性から、
「子どものうちにきちんとしつけておかなければ、悪い大人になってしまうの。
 だからしっかり罰を与えなければならないのよ。」
と注意を受けたのです。


それ以降、もやもやしながら子どもが叩かれるのを見過ごす日々でした。


しかし、今週の日曜日、明らかにやりすぎだろうという状況に我慢できなくなり、
もう十分でしょう、棒を使うのはよくないんじゃないの、とまた止めに行きました。


すると案の定、またオーナーの女性に呼び出され、開口一番にこう問われました。
「あなたはここの子どもたちの何が問題だと思う?」


なんの話や、と答えに戸惑っていると、
彼女はここの子どもたちや施設のことを語り始めました。


ーなぜ子どもたちがここにいるのか。

「あなた、子どもたちの手や足のケガを見たことはある?
 あの子たちは道で保護されたのよ。砂を食べておなかを壊してた。」

「”お母さんのところに戻りたい?”と聞かれても”いやだ”って答える子もいるわ。
 なぜだかわかる?
 母親が虐待していたから。壁にぶつけたり、火であぶったナイフをあてたり。」

「ここでは彼女たちがいい人になるように、教育をしているの。
 本来母親が教えるはずだった、マナーや善悪から。
 そうでなければ、彼女たちはまた母親のようになるのよ。
 いろんな男の人と寝て、お金をもらって生きるなんて、そんなの人生じゃない。」

「教育が一番なのよ。」


ーそういった”育て直し”がどれほど大変なのか。

「毎週のように学校から文句を言われる。
 ”あなたのところの子どもは宿題をしてこない”って。」

「スポンサーの人からも電話がくるわ。
 どうして施設内で子どもが走り回っているのかって。
 寄付をしても、しつけができていないじゃないかって。」

「あなただったらどう感じる?
 どう教えればいい?」

「なぜできないかというと、母親が教えなかったせいよ。
 本来は”ここはこうでしょ”って隣に座って教えてもらうようなことを
 彼女たちは一切知らないの。
 じゃあ誰が教えるの?」

「私の息子は5歳でもう時計が読めるけど、ここの子どもたちはどう?
 あまりにもレベルが低すぎるから、学校でも一番下のクラス。
 そしたら友達もわるい子ばかり。
 勉強するしか、彼女たちにはもう道はないのよ。」


こういったことをどばーっと言われ、思ったことはそれなりにあったのですが、
英語での表現が全く追いつかず、結局何も言えませんでした。
彼女のいうことが理解できなかったのではなく、
理解できたし、言いたいことがたくさんあったのに、
何も言えない悔しさで泣いていました。


それと同時に、彼女の目からも涙が流れていました。
おそらく、日々様々な人からの評価にさらされて、非難されて、
ままならない思いもたくさんしているのだろうと思いました。


その日の夜、私は日本から持ってきた折り紙に、手紙を書きました。

”あなたがたが行っていることは本当に尊敬しています。
 けれど、私には体罰が過剰だと感じられます。
 文化の違いなど、私にはわからないことがあるので押し付けることはしないけれど
 だれか一人でも問題だと感じるなら、それは確かに問題だと思うのです。
 暴力は、どんな理由があっても暴力であるということを、忘れてはなりません。
 この問題に向き合うために、私は日本から来たように感じています。
 改めて、私を受け入れてくださってありがとうございます。
 私はここで、子どもたちのためにできることにベストを尽くします。”


こんな感じのことを書きました。
渡すことはできましたが、それに対する反応は、まだもらえていません。
このままなかったことになるのかなぁとも思ってしまいますが、
また何かあれば躊躇わずに自分の意見を言っていきたいです。


これまで20日間ほどここで生活してきましたが、
孤児という暗い印象など微塵も感じていませんでした。
ですが、これをきっかけに、なぜ彼女たちはここにいるのか、
スタッフは何を目的にして子どもの世話をしているのか、
そういったことを考えさせられるようになりました。


それと同時に、漠然と”いやだな”としか思っていなかった「体罰」というものが
どういう場面で機能し、何が欠けると「虐待」に陥るのか、
また、社会でどういう風に見られてきたのか、など、
もっと詳しく、きちんと知りたいと感じています。



さて、もう一つエピソードを書くつもりだったのですが、
さすがに長すぎると思うので2つに分けることにします。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
タイトルにその1を付け足してきます。
 

はじめまして。

大阪大学人間科学部2回生の、福山鈴音といいます。
現在、アイセックのインターンで、マレーシアのイポー
(首都クアラルンプールから電車で3時間ほど)に来ています!
こちらに来てもう2週間以上たちました。


正直ブログってなんかオシャレな感じで嫌だったんですが、笑
(自分には似合わないような気がするという意味での嫌です。)
こんなときにしか書く機会なさそうだしなぁと思ったので、
研修の様子や、感じたことを投稿させてもらいます。


インターンの内容は、孤児院に住み込み、勉強のお手伝いをするというものです。
ここでは、4-16歳の女の子が20人と、スタッフが1人住んでいて、
私は一つ部屋をもらい、彼女たちとともに生活しています。
この孤児院はタミル系のキリスト教徒の方によって運営されており、
ほぼ毎日カレーを食べ、決まった時間にお祈りの時間があります。


日本とは全く違う生活ですが、とても快適に過ごせています。
最初こそおなかを壊したものの、それ以外の体調不良は特にないです。
朝はかなりゆっくり起き出し、(子どもたちは5時起床ですが…)
お昼まではおしゃべりしたり洗濯したりして過ごし、
ご飯を食べてちびっこたちと昼寝をして、
ティータイムに熱いミルクティーとビスケットをいただき、
子どもたちに宿題をさせるために奮闘し、
シャワーを浴びてご飯を食べて、
部屋に戻って日記をつけ、たまに日本の人たちと電話をし、就寝。


大体毎日こんな感じです。
まさにスローライフといった感じですが、
時間がたくさんある分、普段気にしないようなことに
思考を巡らせてみたりしています。
マレーシアにいることを口実に、いろんな人と
電話でお話できることも楽しみのひとつです。


今回は軽い紹介をさせていただいたので、
次回からは、facebookに挙げるのにはなんとなく抵抗を感じるような、
インターン中にもやもやと考えていることを書きたいと思います。


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