こんにちわ。おかがわです。

11月はいろいろあったため、ほぼブログを書きませんでした。
でも、11月はガーナに来て一番楽しんでた月でした。
勉強にもなったし、成長する機会にはなったかなっていう感じです。

さっき英語でブログを更新してなんか気持ち悪いので、お口直しに日本語書きます。

11月は「旅人」みたいに過ごしました。


一週目、自転車でケープコーストへ。
二週目、オフアセでのボランティア体験。
三週目、TICAD学生会議の学生たちと開発とかについて学ぶ。
四週目、モレ国立公園にゾウを観に行く。


とくに最後の週は、アフリカを回ってるスワヒリ語の先輩と一緒に旅したため、ほんとに旅してる感じでした。

こっちに来て妙に悲しくなるのは、自分が「外国人なんだ」って意識させられるときです。

たとえ肌の色が「白」でも、いつもいつでも鏡を持参して、常に自分ばかり見てるわけじゃないので、自分が「白人」であることをついつい忘れるくらいにこっちの社会に溶け込んでるつもりになることがあります。言葉のやりとりも問題なくすーっとコミュニケーションが交わされた時には、外国に来て生活してるのも忘れるというか、むしろこっちがホームグランドなんだっていう気すらしてきます。

それでそのまま入り込めたらいいのですが、そうもいってないです。

「おぶろーに(白人)」って言われるのならまだマシですが、「ちゃいにーず」とかって言われる。
それをキャラクターの一部みたいな感じで認めてくれて受け入れら得るのなら全然いいです。
しかし、声のトーン、ふるまいから侮辱されてるようにしか感じられない...
僕が一方的にそう思ってるだけなのかもしれないので、今度気が向いたら口げんかして問いただします。
「文化の差異」ってやつなら、それはそれで向かい合う価値がある。


とにかく、あの絡みのお陰で、「自分はよそ者の外国人なんだ」ってちゃんと思いだすことができるわけです。

だから、これだけ滞在してみたところで、所詮自分は旅人どまりなのでしょう。

よそ者にガーナの社会をどうしたいとか語る資格はない。

ここがネックになってて、僕は「開発」とか「国際貢献」とかに懐疑的なのかなと思ってます。

だって、外国人が外から急に入ってきて「ここがおかしいから、変えていくべきだ」って言ってくるって違和感がないでしょうか?

たぶん、「開発」にも「国際貢献」にも、いろいろなレベルがあって、一くくりにすべきではありません。
そして、それに対するスタンスや目的もそれぞれに存在していて、これも一枚岩にそれぞれの活動をしているわけではありません。


ところで、JICAの協力隊の活動は「政府の要請にこたえる形で行われてる」っていう説明だったので、すこはすごくしっくりきました。
勝手に「外」から押し付ける活動ではないですからね。


ガーナでは今週末、選挙がおこなわれます。
この結果はまさしく彼らの「民意」であり「選択」であります。

もう少し詳しく各政党の政策とか勉強して、彼らの決断に耳を傾けてみようと思います。

一方で、日本でももうすぐ選挙があるので、そっちの方もしっかり見ておこうと思ってます。

It has been 3 months since I arrived in Ghana.


There are nothing achieved by me as an intern.
However my experience in Ghana moved me forward definitely except for AIESEC one.

I made a decision that I wouldn't do anything useless for the people I was supposed to work for.
This has included the voluntary works prepared by AIESEC.

Not all of these but some of these did I feel useless.
This may come from the framework of the organization.

AIESEC basically insists on the growth of the @er and interns.
I learned it from the national conference of it 2 months ago.
In my understanding, they prepares many experiences for them to grow up.

This seems like a business.
(This mention I'll write should be limited within Global Community Development Program (GCDP), which interns are accepted, because I don't know much about whole things of AIESEC.)
There are apparently customers who can get benefit from that experience.

In short, Interns and  beneficiaries from voluntary work.

And this 'business' should originate from the demand of beneficiaries.
This looks quite natural. This is known as a basic concept of business.
Therefore, this means that no demand no supply.

For example, there's a man who want a job.
However only thing he want to do is to cheat on customers.
Are there anyone who want to be cheated on? 
Of course the answer is 'no'.
As a result he cannot get a job.

In this point, GCDP seems ridiculous.

There are two problems about this program.
One is that this program is for only the interns and a self-satisfaction of @ers.
The other is that AIESEC don't seem to make as effort to satisfy the customers.

I couldn't believe that my work was required from the beneficiaries, who were students.
It had been better to study their subjects rather than to listen to our lectures.

Of course this must have been my opportunity to grow up.
However who could guarantee the quality of our own service for the students ?
My presentation could be disturbance for the students to study but deprive their time to study something.

At that time my English was much worse and I had little knowledge about this presentation.
Nevertheless my manager didn't check my presentation at all before it was done.
This is not a problem between her and me, but the one of this organization.
As an organization there are no ability and systems to guarantee the quality of our service for the students.

For this reason I decided not to do anything about this presentation.
 
I want to suggest something to solve this problems for AIESEC before I leave Ghana.

So this week I will prepare for this while watching the election.

いま滞在させてもらってるところから歩いて20分くらいのところに図書館がある。 
歩いてすぐの道なのに長く感じられ、時間がもったいないと感じていた。 

そんなにすることもないのに。 周りを見渡すと、周りの人たちはゆっくり動いているような気がしてきた。 

 ゆっくり、歩く。 

チュイ語ではカクラカクラ、スワヒリ語ではポレポレだったけなとか考えながら。 

 彼らに合わせてゆったりと、たまに空を見上げたり、周りの畑を見たりしながら歩いてみた。 

そしたら不思議と肩の力が抜けた。
日本にいたときも、こっちに来てからも、何かに焦ってたような気がした。 
歩くとき、走るとき、自転車をこぐとき、車に乗ってるとき、電車に乗ったとき、飛行機に乗ったとき... 同じ道でも、移動の仕方で見える世界が全然違ってくる。 

「遠いから」って、安易に車や電車を使う旅には魅力を感じない。 
「遠いから」こそ、ゆっくり時間をかけてその道中を楽しめるはずだ。 

道の途中にこそ、未知との遭遇のチャンスがある。 
目的地の景色を見ることだけが旅ではない。 

それでは、ダビだ。(ここの意味はチュイ語を勉強したら分かってもらえるかも...いや、分からないかも...) 

昨日まで急いで歩いていた気がする図書館への道。 
何のためにそんなに急いで歩くのか分からなくなった。 

こっちの人は生き急いでない。 
彼らは人生をゆっくり歩いてる。 

それはグローバリズムの文脈では、他の国にどんどん遅れをとることを意味してる。 

だからガーナは、外資がどんどん進出してきて、経済的には取って食われてるような印象がある。 
「発展」するのは難しいだろう、と思わざるを得ない。 
そして、いらいらしてたのは、彼らがそのことに焦りをみじんも感じていないように見えることだった。 
彼らが「それでいいのだろう。」と思ってるしか思えない。 

 しかし、その一方で、彼らは生き生きとしてるように見えることがある。 

経済的には貧しくても、それを悲観するばかりではない。 

今日も働かずにずっとしゃべってる大人が数人いた。 
以前まで「働かなくてもいいのかな」って思っていた。 

でも、これは彼らの「生きる」なのだと思った。 何だか楽しそうだったから、それはそれでいいのだろう。 

世界が一体化していくいま、すべてのものが一つに収束していくことに危惧を感じる。 
多様性が失われるということは、人間の社会でも憂慮すべきことだと考える。 

日本から出る前に、自分の人生にもこれから生きていくであろう日本社会にも漠然と行き詰りと閉そく感を感じていた。 
しかし、異文化を持った人に出会うことで「こんなやり方もあるのか」って思いつくきっかけになったことが何回もあった。 

そういう「異なった人」たちと出会うことはそんな閉そく感を打破するきっかけになりえるはず。 
彼らに「教えてあげないといけないこと」がある一方で、僕たちも彼らから「学ぶべきこと」がたくさんある。 

 常に視野を広く持って生活しよう。

 久しぶりにわくわくしてきたので、前向きなブログになりそうな岡川です。

なんか、国際貢献とか、やりがいとか、いろいろいろいろ難しく考えすぎてただ動けなくなってただけじゃないかなって反省してます。
そして、悪いところをみても仕方ないのに、そこばかりに目が行っていいところを見落としてるような気がしてます。

国際貢献とかいう大義名分より、自分が必要とされてるっていう承認欲求とか(役に立つのかどうかは別として)何かに取り組んでるっていう充実感の方が人を動かすのだと思います。

この二か月プロジェクトに関して「実行しない」という決断をしてきたことに後悔はしてません。
しかし、アイセックの研修として活動の場を見つけられなかったことは本当にしんどかった。自分が生きているのかどうかっていう実感もなかったですから。

少しアクラの遠くのオフアセでのプロジェクトに参加させてもらえることになりました。
ここでは図書館を活用して何か社会貢献ができればっていうプロジェクトに参加します。

プロジェクトの内容もインターン生に裁量が任せられてます。
この点、何を言っても最初から切り捨てられるうちの研修とは全然違います。


ただ、こんな感じのプロジェクトにもいちいち引っかかってしまう自分がいます。

漠然と「社会貢献」って言っても、本当に必要とされてることかどうか疑問に思ってしまいます。
先進国側のやり方にただ彼らを巻き込んでしまってるだけじゃないかって。

でもそういうケネンって自分の頭の中にだけあるものであって、実際にどうなるかはやってみないと分からないんですよね。

考えてるだけだと意味がない。

形にしてみて、その形がどうなのかって考えてみて、そこから改善する。
そうしていいものができてくるはず。

そうしてすぐにではなくとも、関ってるみんなにとっていいものにしていけばいい。


高校野球をいま振り返ってみると、強いチームはほぼ例外なく「伝統」という名のもとに先輩たちから何かを受け継いでいました。
基本的には一年ごとにメンバーが入れ替わっていく高校野球で、先輩のアツい気持ちや培ったノウハウ、チームカラーなど何かを受け継いでるチームは強かった。


何も引き継がれず、ただただ意味のないことを繰り返しているのは本質的に失敗しているプロジェクトだと考えます。入れ替わりの激しい学生団体にありがちですが。
数打っても当たらない下手な鉄砲です。


一人日本人インターン生が来週末に帰国してしまうので、彼が帰るまでに大きな目的だけしっかりと決めて動いていけるようにしていければなと思います。

 無理やりに自転車の旅を強行した結果か、ここ2日ほどやけに無気力になった。

自分は何のために生きているのか。
自分なんか死んでも世界は相変わらず、平然と動き続けるのではないだろうか。

地引網の漁に参加させてもらったときも、自分の無力を感じた。
たくさんの人で協力してやっと大きな網を引き揚げられる。
その中で自分の微力な力は本当に役に立ってるのか。

漠然とそんなことを考えながら、日本人の補習校へ行った。
現在のところ唯一働くという実感のある場所かもしれない。

先週ある生徒に算数を教えたのだが、その子は補習校の中でも学力的に難しいと言われる子だった。
確かにそうで、割り算の筆算で躓いていた。九九もままならない。

塾で講師をしていた時の癖で、「どこで躓いているか」を分析して、そこだけを克服する授業をした。
カリキュラムとかは、いったんその辺に放り投げる。自分らしいと思えるやり方かもしれない。

問題を解決するために最も必要とされる知識・能力の教授だけに焦点を当てる。
その子は「二桁÷二桁の割り算の筆算」で躓いていた。しかし、一番の躓きの原因は「あまりの出る割り算」だと分かった。
だから、5年生としてはもうできているはずの「あまりの出る割り算」を仕上げるのに徹した。

先週はこんな感じで授業をした。

そしたら今日、普段担当している先生から「はじめてわかったって言ってくれた。岡川先生のおかげです。」と言っていただけた。
細かくどこまで分かったのかについては自信がないけど、久しぶりに何かしらの価値を提供できた気がした。

ほんのわずかのこと。でも、自分が生きていたことで、誰かに感謝してもらえることがここにあった。



その後、知人に近くで葬式があるからと言って誘っていただいた。
普段太鼓を教えてもらっているガーナ人のダンスチームが葬式でパフォーマンスをするらしい。

駆けつけてみると、なるほど、20名くらいの遺族や関係者を目の前にやけに楽しそうにダンスをする。
昨日は夜の8~12時まで踊りっぱなしだったらしい。
子どもや大人を含め、その場にいる人のほとんどはダンスを楽しんでいるようだった。


しかし、彼らが向き合っているのは「死」だった。


故人を送る葬式のはずなのに、外から見ている自分には逆に彼らの「生」がはっきり映し出された気がした。

彼らは何を思って笑っているのだろう。
彼らは何のために生きているのだろう。

考えているうちにバカらしくなった。
こんなことに悩むのは人間くらいだろう。
普遍的な答えなどいらない。

神でも仏でも、なんでもいいから、自分が生きることへの不安を取り除くものを人は求めるのだろう。

結論は簡単に出そうにないけど、自分はいま違った文化の人に囲まれて生活できる環境にある。
彼らの考える「よく生きる」を真摯に学ぼう。

久々の更新になります。ブログを書く気力がなかったというか、生きる気力がなくなりかけてた岡川です。


先日急に思い立って旅に出ましたが、そのことについてです。

最近自分がアイセックの一員でこっちに来ている自覚が全くなかったため、日本にいるときと全く同じ気分で旅に出てしまいました。自転車で、フェイスペインティングまでして。

今回の旅に関しては100%無事に戻れるように準備したつもりだったため敢行しました。動機の半分以上は冒険心からで、残りは普段の活動のストレスを発散させるためでした。

身勝手な行動だったと反省はしてます。

自転車で長距離を旅することはよほどの理由がない限りは、ないようにします。外国人である以上にいろいろリスクが伴いますので。

アイセックのおかげでこっちに来れてるのは事実なので、関係者の方にも迷惑や心配をかけることなく無事に戻れるように気を引き締めて行動していきます。

こんにちわ。おかがわです。

今日は日本語の補習校から、ガーナよさこい祭りに行ってきました。

午前中の補習校では、みんなどこかそわそわしてる感じ。
楽しみにしてるんだなーっていうのが行く前から伝わってきました。


実際に行ってみると日本人っぽい人がたくさんいて、こちらでお会いした日本人の方や青年海外協力隊の隊員の方、大使館関連の方など、正確にはガーナにいる日本人のほとんどが集まってるんじゃないかって思えるほどでした。

メインはよさこいです。
補習校のこともたちや、ガーナ人も踊りを披露します。
掛け声が「よさこい」っていうのも少し違和感がありましたが、たぶん、よさこいっていうとこんな感じって思えるものでした。


食べ物も焼き鳥、カレー、かき氷、牛丼など日本食が並びます。

その他の催し物も充実してて、書道、茶道、折り紙なんかが人気でした。



参加者にはガーナ人や日本人じゃない人たちもいて、いろいろ日本人が文化を紹介している感じでした。


ガーナまで来たのに、みんなで盆踊りを踊ってると日本のお盆が懐かしくなりました。

ガーナ人は不思議そうに見てましたが、これが日本の、自分の文化なんだなってしみじみと感じます。

多分、「チャイニーズ」って言われてイラっとするのは、自分たちのアイデンティティみたいなのを傷つけられてるってのも少しだけ関係してるように思います。単に中国があまり好きじゃないからかもしれないですが...


もっとガーナで自分がどういう文化を背負ってるのかってのを感じてこれたらなって思います。

コートジボワールから来てた二人のインターン生が去った。
彼らはこの一カ月、ルームメイトであり、友だちであり、仲間だった。

アイセックのこっちの委員会の活動ですることがないなりに、いろいろ一緒に楽しんだ仲間だった。

愚痴を言いつつ「組織とはこうあるべきだ」とか議論したことも、
意味のないような会話に盛り上がっていたことも、
いつも明るく生きることができたことも、
彼らがいたからできたことだった。

でも、残念なのは切磋琢磨できる「仲間」になれなかったこと。

ぼくは、「ある目的意識を共有してる人」のことを「仲間」と呼ぶことにしている。

塾で生徒の成績を上げることでもいい。
スワヒリ語劇で「恋」をテーマにとにかく楽しい劇をつくることでもいい。

目的を達成するためにときに厳しく「なあなあ」になることは許されない。
お互いが刺激し合って、活動を通して成長できる。

そんな関係が僕の理想とする「仲間」だ。

そこが「友だち」と「仲間」を分ける点である。


彼らはものすごくいい「友だち」だった。
一緒にいてすごく楽しいし、困ったことがあれば信頼もできる。
文化の違う彼らと寝食を共にし、時間を共有できたことは勉強にもなったし、
自分を見つめなおすきっかけにもなった。

しかし、アイセックの活動を通して一緒に成長できたとは思えない。
ぼくたちは一か月近くアイセックの活動からは離れていた。

ぼくらは違う「プロジェクト」を担当していた。
しかし、それもばらばらにしか活動していなかった。

少ないインターン生しかいないときに、
本当はもっと協力し合って「プロジェクト」を作っていけばよかった。

そうすれば明確に「ある目的意識を共有する人」になれたはずだった。

できることなら勝手にその辺の学校にアポを取って、
授業のようなプレゼンをどんどんやってしまえばよかったのかもしれない。

けど、組織として動いてるならそうするべきではないだろう、
というぼくたちの判断で、一か月結局何もしなかった。


という後ろ向きな反省ばかりしてる気がするので、11月は前向きに。
たとえ倒れることがあっても、前のめりに...


バスで彼らを見送った後すぐに、彼からメールが来た。

「It's the life.」

出会いがあれば、その分だけ別れもある。
楽しい時間は永遠には続かない。
それが生きるってことだ、みたいな意味だと解釈した。

「友だち」とは「また会いたいなって思えるの人」だと考えている。
いつか彼らと、コートジボワールで一緒にビールを飲めればなと思う。

 インターンシップ2カ月が経過して、
これだけ何もしてないっていうのは多分異例なことだろう。

そして、これまでの二か月を振り返れば振り返るだけ、
どんよりと、じわじわと、後悔の気持が大きくなる。

しかし、過去は過去。
大事なのはこれからだ。

シンプルに考えよう。
ポジティブに考えよう。

切り替えは常に大事。


自分の言った言葉に責任を持てるのが「おとな」だ。

キレイゴトを言うのは、たやすい。
何もできないとたかをくくるのも、たやすい。

少なくともここに来る前、ぼくは「人を動かせるような魅力的な人間になる」と言った。

それが二カ月どうだったか。
何もできないとたかをくくっただけではなかったか。
必死に逃げようとしていただけではなかったか。

甘えるな。
「学生であること」は言い訳にしてはいけない。

11月、研修も終わりにさしかかってくる。

結局誰が何を言おうと自分次第。
人に何かをもらうことを期待しても何も出てこない。

アクティブからアグレッシブへ。
行動力から実行力へ。

11月は絶対に負けない。

こんにちわ。おかがわです。


アイセックのメンバーの中にも一人、この人にあえてよかったなと思える人がいます。

彼は大の日本好き。
ナルト、ブリーチ、ドラゴンボール...日本のアニメから日本に興味を持ったようです。


来週11月3日は文化の日です。ガーナでは日本人会主催の「よさこい祭り」があります。
「来週絶対行くことを約束する、忘れないように連絡してくれ」
とか言いながら、気づいたら日本の抱えている問題の話題になってました(笑)


それでいろいろ少子高齢化問題、働く女性の地位の話、産業構造の話まで話が及びました。
「日本の興味深い文化が人口が減るのに伴ってなくなってしまうのは大変に残念。日本政府は子どもを産みやすいように制度を整えるべきだ」とか言ってました。


日本に思い入れのある彼は日本のことを相当考えてる...


「若い世代が次の世代をつくるんだから、お前くらいの年のやつが次の世代に責任を持つべきだ」
そう言われたときに、「ガーナなんかにいる場合じゃないかもな」くらいの焦りを感じました。


若い世代として、自分たちは次の世代をつくるっていう気概を持てているだろうか。



ところで、僕は「国際貢献」に関る仕事に憧れを持ってました。
これって僕の場合、ある意味「逃げ」から始まった夢。


途上国の難しい問題だけを見よう。
でも、その代わり、自分たちの持ってる問題は見なくてもいいかな。

後から振り返るとそういう考えが心のどこかにありました。


その国際貢献とかボランティアみたいな立ち位置に立つとどこか当事者意識が欠けてしまう。

何かの問題に取り組んでいても、最後の最後に「これは彼らの問題だ」っていう意識がきて、妥協してしまう。

むしろ僕は、途上国に対しての国際貢献とかボランティアって、すごくいいことをしてるはずなのに、自分の仕事としてやるのは気が引けます。

あまり現実的ではないかもしれないですが、彼らの問題は彼らが主体的に解決すべきと考えています。よく見てたら与えらるのを待ってる、と思えるようなこともありますから。


もちろん「自分たち」っていう視野を広く持ってる人はやっていけると思います。
「この貧困の問題は、人類全体で解決すべき問題だ。」みたいな。

それか、それに代わる何か夢のような強く実現させたいと思える理想みたいなもの。
この点、一番成功しているのはキリスト教じゃないかなと思います。
少なくとも建前上は、信仰の良さを伝えるための情熱からアフリカとか世界中に出かけて行って、言語調査して少しでもキリスト教を布教させようとして、実際に世界中に広げていった。


話が飛躍してきた気がするのでもとにもどします。

たぶんこれまでの経験から、僕が本当に当事者としてがんばろうと思えるのは、外国の国々が抱える問題に対してではなく、日本の抱える問題かなと思います。いまのところ。


海外の問題は自分たちに関係ないっていうことではないです。しかし、本当に自分が解決したい問題ではないのかなと思います。


最近、こういうことばっかり内省してる気がします。
でも、いったん日本から離れてみたからこそ見えることだと思うので、考えたいときはしっかり考えたいと思います。


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